2011-11-05 Vol.123 営業の仮説

父が「あゆを食べたい」と言ったので、日帰りで観光簗(やな)に行きました。
父と家族です。子どもの頃に、良く連れて行ってもらったのを記憶しています。

昔はキロ単位で購入して、何十匹も出てきたとか。良く食べた気がします。

午前中についたおかげで、目の前に落ち鮎(産卵のために川を下る、水温が低い朝方にあがることが多い)がやなにあがりました。
子どもが3匹ほど、やなにある箱にいれました。その後もあがってきて、2時間ぐらいで20匹ぐらいはあがったようです。(他の子供達も喜んでました)

家内と父は、うるか(鮎の内臓の塩辛)や鹿刺し、岩魚の骨酒 を堪能していました。わたしはノンアルコールビアで。帰り道、栗が落ちていたので、栗拾いも。栗ご飯にしました。


さて、本題
引き続き、営業について考えている自分(時間)がある。

営業の原点というか、本質的なところって、宗教と音楽に学べるような仮説をたてた。

まだ、自分の中で答えが整理できていないのだけど、書いてみる。

まず、音楽、ここでいう音楽は何かを購入する際は、「心地よい」という声を届ける必要がある という事。例えば、デパ地下やアメ横のおっさんの呼子

「はい、しゃけしゃけしゃけしゃけさんびゃくえんさんびゃくえんさんびゃくえん やすいよやすいよやすいよやすいよしゃけしゃけしゃけしゃけやすいよ」

誰もが隣の店と値段も品質も変わらないのに人が集まる瞬間ってのを目撃していると思う。さくらでも雇っているのかな? と思ったけど、本当に集まっているような気もする。

言葉に意味はない、合理的な判断もない、ただただ声(トーンとリズム?)に脊髄反射しているのではないか。マイコーのannie are you ok? って歌の歌詞はひどい?(意味はどうでもいいけど)、音楽は気に入っている自分がいる。

営業に必要なスキルとしてボイストレーニングがあるのかな? という仮説。
(ジャパネットたかた の高田社長も)

もう1つは宗教。宗教ほど強烈なブランドはない

いくら大企業がすごくても、強烈なブランドがあったとしても、宗教にはかなわないと思う。iPhoneが10年後も存在しているか怪しい、でも宗教は100年後も確実に存在していると思う。

宗教が売っているものは、安息だったり安心だったり魂の救済だったり天国への切符だったり正直、目に見えない。合理性のかけらもない。でも売れている。これって一種の詐欺だよね?なーんて思ってみても仕方が無い。

「信頼を売ってこい」と「天国への切符を売ってこい」 は同義な気がする。さしずめ、経典は販売マニュアルといったところか・・・・

宗教にはブランド構築であったり、営業戦略だったり という意味で、色々な
示唆があるのではないか という仮説。

営業の話をしたけど、SEやPMも同じだと思う。資料の作成から説明/説得っていうのがつきまとう。ロジカルシンキング(同じインプットから同じアウトプットという算数)が身についている人への説明は楽(合理性だけが求められる)に感じるようになったけど、

意思決定者への説明は+αが必要なときを感じる。それは政治力だったりもするけど、「心地よい/安心感」という部分を必要に感じることがある。

安心感を出すには、技術に対する絶対的な自信も必要なので、技術習得(修行)は必要。宗教も同じかも、修行(座禅?)もしているわけでね。とはいえ、歴史が違う、学べることは多いと思う。

この仮説、どう思います?