2010-7-22 教育機会

三連休はいかがでしたか? 暑かったですね。

私は、
土曜日、家内の実家でお食事。
日曜日、家内の従姉の家で獅子舞(奉納)、人参収穫、BBQ
月曜日、舎人公園(そりゲレンデ)、ピザ作り(自宅)、釣り堀居酒屋

とささやかながら、家族との時間を持ちました。

予定では[流しそうめん] とか [舎人公園じゃぶじゃぶ池] も計画していたのですけど、諸事情があり、できませんでした。

それでも、子供達と色々な体験ができたと思います。



さてさて、前にも書きましたが、私の隣席に韓国出身の方がいる。で就労ビザの話やなぜこの会社を選んだのか など聞いてみた。

・ビザって大変じゃない
→大変、日本語学校に通っていた人の大半はビザがもらえなくて帰国する。もち
ろん欠席は一度もしなく、勉強も沢山したが、自分はラッキーだったと思う。

・なんでラッキーと思ったの?
→韓国で募集があったとき、奨学金/日経新聞の新聞配達をしながら という制度があったから。日本語が拙いなか、肉体労働ができ、生活費も稼げて、学校にも行けた。

で、学校に求人(キングファイル5冊)を全て見て、今の会社に応募した。

面接では、なぜ当社を選んだのか と聞かれたとき、スムーズに答えられた。また、落ちたらどうするの? と聞かれた際、再度、この会社に応募する とも答えた。熱意を買ってもらえたんだと思う。

で、その年は大人数を採用した年でもあり、ラッキーだったとおもう。

・学業と新聞配達の両立って大変だったでしょ。日本人でも挫折する人多いよ。

→軍隊の経験が大きいと思う。軍隊の期間は2.4年なんだけど、下っ端の1.4年の間は、横になって3時間以上寝た記憶がない。

それにくらべれば、なんでもできる。日本にくるとき、2年間、軍隊にいったつもりで頑張ってみようと思った。


グローバル化/ボーダーレス社会とは、このような気持ちでいる韓国の方とも競争になるんだな。競争においては、徴兵制度/愛国教育(できればしたくないけど)、必要かもっと思う気持ちはある。そんな言葉を口にする政治家もいたな。


海外に行くと、韓国の方は、「日本の繁栄は韓国がもたらした、だから日本はもっと韓国に援助と感謝をすべきだ。」

という事を主張してきました。

「いやいや、地理的な事/国際政治の力学など様々な要因はあるかもしれませんが、日本が努力した結果、日本は繁栄した、自助努力の成果だ。韓国のおかげではない。お門違いでしょ」

なんて、若い事は考えていた、けど最近は違う思いもある。


NHKの会長 島桂次 の伝記かなにかにも、

ソウルオリンピックの時、放映権料の交渉で、NHKの島と韓国の代表(後の盧武鉉大統領だったと思う/りとうきだっけ?)でも同じようなやり取りがあったと書いてあった。

そのとき、島は「言いたい事はわかるが、それは飲めない」 っと強気の交渉にでて、半年間交渉を再開しなかったらしい。


東西冷戦の中、その境界線は、韓国国内にあった。日本は朝鮮戦争でも後方支援地となり、その特需で高度経済成長のきっかけをつかみ、経済大国になった。

一方、韓国では、東西冷戦の境界線で、軍事的緊張にさらされ、国策として徴兵制を導入している。

このような歴史的背景を知らないと、相手(交渉相手であり、競争相手でもある)を理解できないのだと、最近思うようになった。

孫氏の兵法 ではないが、相手を知ることは非常に大切であり、昔は若かったな とも思う。

さて、我が息子には、どのような教育の機会を与えるべきかな?